覚書 私自身の事
12月13日 人生で初めて、『入院』してくださいと言われました。
村内診療所へ、長い期間息苦しくて眠れないという理由で診察を受け、即家族に連れられ総合病院で診察を受けてください。自分で運転しないで、急いで向かってください。
そのような状況の中、仕事中の夫にお願いしてもちろん、朗もほほも伴い言われた場所へ向かいました。
心臓が忙しく動きすぎてる。肺に水が溜まっている。ずっとマラソンしている状態で生活しているとの内容でした。
体内に水が溜まりに溜まって足や顔が浮腫み、それは冷えや老化更年期から来るものと思い込んでいた。
少し動くだけでしんどくなり、息切れしたりしてたのも、運動不足だと思っていた。
だけど、就寝時横になると息が吸えない、苦しいという状況が続き、眠れないという日々に病院にて受診することにし、このような状況になりました。
診察中、検査のための移動は車椅子。
診断結果後の即入院は、どうしても避けられないところを翌日にしてもらって、一晩家に帰っって入院の準備をしました。
ベッドの上での仕事は、無理なければしても良いということ、Wi-Fiの準備をしてくれることをお願いし、翌日入院となりました。
やはり院内での移動は車椅子。病室は4人部屋(トイレ、有り)病室より外には出てはいけません。という状況。
え?私元気なんですけど・・・・そんな思いで人生初の入院を楽しむ気持ちと、囚人になったような気持ちとでイッパイの1日が始まりました。
夫がリモートワーク、そして理解ある職場で良かったです。
一番気になることは、朗たちのこと。以前のホテル勤務では無理だったと思います。
12月14日の入院から、コロナやインフルエンザ感染の観点から、病棟前までしか入ってこれず、持ってきた物を看護師さんに預け渡すという中、何度となく病院を往復してくれました。
大事の自覚ないまま、入院生活が始まった私ですが、検査の日は車椅子移動だけどくたくたになりました。仕事を入れてしまっていて、急に検査が入り、仕事をお休みしたこともありました。お仕事に集中すると、頻脈になるようでお仕事を毎日入れることができませんでした。
胸や脇腹、指に心拍や血中酸素を図るための機械やコードが付いていて、慣れるまで煩わしく、深夜ウトウトとしてたら、看護師さんが慌ててやってきて、酸素をと準備して鼻から酸素を吸わされ、斜め前のおトイレに行くときは、酸素ボンベをと言われ面倒でおトイレ我慢してみたりと、私の事だけの毎日なのに忙しかったです。
1週間ほどすると体に溜まっていた水分がどんどん抜けていき、最終的には6、7kg入院時から体重が減りました。入院時の体重にもびっくりしましたが、それだけ水分が体に澱んでいたのですね。
主治医、看護師さんの扱いや、お話を聞くと重病であと少し放置してたら危なかったのだということを感じました。
クリスマスには間に合わず、年内に自宅に帰れるか?という状況でしたが、12月27日に退院することができました。
人生初めての入院は、想像していたより良く、時々隔離されている息苦しさにイラッとすることもありましたが、良い経験ができました。
今後は、朗たちのために、生き急がずのんびりペースでやっていきたいと思っています。
心配と苦労をかけた夫と姉には入院中支えてもらって感謝です。
こっそりおやつも差し入れしてくれた夫には、いつも味方でいてくれてほんと感謝です。
夜病室が明るくて、暑くて眠れなかった。
病気だという自覚が薄く、体調不良を運動不足、老化、更年期などと思い込んでいた。
甲状腺ホルモン(バセドウ病)が多く出て、心不全を起こす。
バセドウ病・心不全のためのお薬を飲み安静。
少しずつ日常生活、運動を始め日々無理をしないようにする。
早々にまた入院やこの世からさようならにならないよう、口だけではなく1日1日を丁寧に過ごしていく。
要因
・精神的・肉体的ストレス
・休息不足
・不整脈・心房細動
・甲状腺
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